理系出身の人に(個人的には)伝えておきたい法律の勉強の注意点
◎理系学問と文系学問は考え方が違う
私は元理系なのですが(ロケット作ろうと思ってました)、学部での文系の勉強や、司法試験の勉強をするにあたって結構苦労しました。その原因は、理系(自然科学)の思考方法と文系(社会科学等)の思考方法が違うせいだったなと自分の中では整理しています。
せっかくなので、その内容を簡単にでも残しておきたいなと思いましたので、以下に書きます。
◎自然科学の考え方
自然科学においては、一つないし複数の公理からすべての法則を導き出せる・事象を説明できると思います。たとえば、物理の力学はF=maからすべての公式を導き出せます。一義的・演繹的にすべてを説明できるわけですね。
(こういうとプロの人たちから間違えているって言われかもしれませんが、あくまで高校、大学1~2年の内容ということで許してください。)
◎社会科学等の考え方
他方で、法学を含めた社会科学等はそうはなりません。そのため、理系出身の人は、雑多な知識をたくさん覚えないとダメなのではないかと勘違いしてしまうことがあるんじゃないかと思っています。というか、私がそうでした。そして、雑多な知識という認識だと、「覚える」「頭に残す」のがすごく難しくなります。何の法則性もない情報を覚えるのは困難なのです。
しかし、社会科学等の知識は全く雑多にあるわけではありません。たしかに、社会の諸事象は一義的・演繹的に決まるわけではありません。ただ、学問として、単なる事実の羅列だけにとどまらず、何らかの傾向性・論理を見出すことを試みるわけです(分類と分析)。
(これもプロの人たちに怒られるかもしれません…あくまで私見ということで)
そうするとどうなるかというと、「理解」できるので、「覚える」「頭に残す」ことができるわけですね。
◎法学の考え方
∇法則性
しかも、法学等の実学は、人間が頭の中で作り上げて出すものです。そのため体系性への志向があります。特に法学は解釈学なのでよりその傾向が強まります(神学と近いかなと個人的には思ったり)。
大系書を読むと強く感じるのですが、たとえば、高橋憲法だと、憲法論を「個人の尊厳」から演繹して考えていると思います。高橋刑法(別人です)だと、「行為規範・評価規範」という考え方で体系的に説明しようとしているかなと。もっと一般的には、たとえば民法の基本原理は「自由・平等・所有権」で根本的にはこの3つから考えているかなと。
ある種の法則性があるわけです(これを徹底していた時代の法学が概念法学と呼ばれているのだと思います。法に欠缺はないというやつですね)。
したがって、知識もより「覚え」やすい「頭に残」しやすいわけです(なお、司法試験では暗記はしないでくださいという話を別記事でしています)。
∇体系を基礎とした現実の処理、その先の体系
もっとも、実学も社会と密接にかかわるもので、体系性と現実はズレます。
実際の裁判ではそれぞれの当事者に有利な解釈・理屈立てがなされ、裁判所は当該事件での利害調整を行うので、にわかには体系性を維持できない判決・結論も出てきます。学問として常に体系性は志向されるが、現実には完全なる体系は存在しない。そのため一義的・演繹的に決まらないということになるわけです。
(ちなみに、この現実への対応を重視するのが自由法学かなと理解しております。法に欠缺はある、裁判官は法を創造せよ、というやつですね。)
しかし、繰り返しになりますが、まったく無秩序に知識が散乱しているわけではなく、一定の法則を持っている(持たせることができる)わけです。体系を適用して検討したので、そこからズレるにせよ、ズレないにせよ、体系という土台があるからです。そのため、その法則にしたがって知識をある程度整理することができます。
◎知識を整理する、絞る
この整理できるというのがポイントです。整理しないで法学の膨大な知識を覚えることは不可能です。整理しないではまともには覚えきれません。一定の法則性はあるので、できる限り整理することが必要です。
加えて、受験テクニックという観点から、試験に出る知識に絞るというのが大切です。私はこれはアガルートの論証集でやっていました。
絞ったもの以外が出たらどうするの?という話がありますが、その場合は、条文に書いているものは現場で条文をめくる、あと現場思考型の問題・未知の問題は対応方法を決めておくということをしていました。
(※以上について、なぜ絞れるのか、なぜ絞ったもの以外が出ても処理できるのかについては別記事を参照してください。予備校論証集はすげーぞという話です)
この「整理する」というのと「絞る」というのを、私の場合は、事案処理方法(別記事参照)に沿って、アガルート論証集の知識を整理する、という形でやっていました。
もっとも、この整理というのは上記のとおり公式とかではなないので、アガルート論証集の通読を繰り返して頭に刷りこんでいくという方法を取ることになりました。力学ならF=maを積分等で操作するだけで済むんですけどね。
◎整理され、絞られた知識に基づいて問題を解く
そして、問題を解くときは、この知識に基づいて解くわけです。ある種の応用ですね。上記のとおり、本件(本問)の具体的事情を踏まえるわけですが、あくまで自分の持っている基礎知識を応用して考えるわけです。
こうすることで、現実の問題は体系に沿って機械的に答えが出るわけではないが、ある種の体系性はあるという状況になるのかなと。
(この二重性がいまいちしっくりこない人がいるようです。司法試験の設問も含めた現実の問題の法的処理は自動販売機的に答えが出るわけではありません。かといって屁理屈をこねて都合のいい主張をできるわけではありません。自分の頭を使って、基礎的体系に沿いつつ、結論を出す必要があるわけです。ここら辺の話はまた改めてしようと思います。)
◎まとめ
以上なんですが、理系とはちょっと考え方が違うというのは伝わりましたでしょうか? まぁ、完全に私見なので、本当にそうなのかは分かりません(予防線です)。ただ、これを分かっていると理系の人は違和感を解消できるんじゃないかと思うんですが、どうでしょうか。苦労されている方にしっくりくると良いのですが…。
◎私の失敗談
ひと通りの流れは説明したので、私の失敗談を書いておくと、私は、雑多な知識を全部知らないとダメなんだと思い、各科目で大系書や大部の判例集を読んでました笑。
ほかには、薄手の概説書の内容を当時あった「コア・カリキュラム」に沿って全部整理するとかやってましたね笑。一時期「コア・カリキュラム対応」って書いてた概説書とかあったんですよ。もちろん、上で書いたような知識の整理は一切ないので頭に入らず、無駄に時間を浪費しました。かなり長い時間です。当然ですが、試験日まで間に合いませんでした。また、2回目落ちた時に無意味だなと思ってすべて捨てました。
一応の経緯はあります。一年生のときは受験的に良い先生(弁護士)のゼミに参加していたのでオーソドックスな受験勉強していたんですが、二年生でそのゼミがなくなってから迷走が始まるという感じです。ロースクールでは予備校本は「雑魚本」と呼ばれ論証集とか使っていると一部の人からバカにされました。バカにされたのを真に受けて、オーソドックスな受験勉強方法を全部捨ててしまったのが運の尽きでした。
実際、論証集も何もなしで、基本書と授業と問題演習だけで合格してしまう人がいるんですよね(稀に基本書だけ読んで答案が書ける化け物もいます)。私はそういう人たちを「法学のセンスがある人」と呼んでいますが、自分にセンスがないのに気づくのに時間がかかりました。
ロースクールは体系や法学の深みを教えようとするわけですが、受験的基礎をすっ飛ばすと、普通の人は法学の森に迷い込んでしまうと思うんですよ。予備校的勉強方法→法学の深淵に臨むというのが良いと思うんですが、どうでしょう。たまに「ローの授業は司法試験に受かってから聴きたかった」という話を聞きますが、こういうことなんじゃないかなと。
もちろん、ロースクールも基礎的内容の授業が組まれていますし、普通の人は迷走しません。しかし、書く授業が弱かったり、知識を絞る指針(ないしは広げるためのステップ)がなかったりで、混乱してしまう生徒がいます。院生なのでその部分は自分で当たりまえに補わないといけないのですが、稀に踏み外してしまう生徒がいるわけです。そういう人には受験勉強の方法論が処方箋になるかなと。
だらだらと自分語りをしてしまいましたが、とにかく、もしかしたらいるかもしれない、私と同じ感じで法学の森にハマってしまっている人に届けば幸いです。
(2023.10.24加筆修正)