「合格者バイアス」について
合格者(合格前の優秀者含む)に勉強方法を教わるというのはとても重要なことです。合格するからには、合格する勉強方法を取っていたことになるわけですから。トートロジー感ありますが、結果で判断するというのは大切という話です。
ただ、その際、気をつけるべきことがあります。それは、「その人が強調してないけど重要だった勉強の要素」がある場合があるということです。
たとえば、私が相当優秀だなと感じていた方は、「基本書を読む」のが大切と言っていました。しかし、よくよく聞くと、「演習書を解き」まくっていました。
ほかには、予備校本を使うのは良くないとして、「ローの授業を重視」している方もいました。しかし、よくよく聞くと、自作の「論証集」をがっつり作っていました。予備校本を否定しつつ、論証パターンというザ・予備校の手法を採用していたわけです(ただ、まぁ、予備校本と論証パターンは違いはするので、矛盾はしていません。聞く側が予備校全般がダメだと勘違いしてしまうという問題です)。ちなみに、その方は、法学部出身だったこともポイントです。要は、ローの授業を重視できる基礎体力があったわけです(「自分はぜんぜんできない」という法学部出身者でも、基礎体力はある人がほとんどです)。
また、「論証集は要らない」という方もいましたが、よくよく聞くと「演習書を各科目2~3冊解い」ていました。これだけやれば論点網羅が可能です。
予備校重視で「論証パターンが重要」という方もいました。この方はそこまでギャップはありませんが、その論証パターンの数が、高い網羅性のあるレベルに達していました。あと、調べるべきことは基本書できっちり調べていました。
すごい量のまとめノートを作っている方もいました。試験前に全論点をまとめて受かったなんて人もいました。しかし、演習も過去問もすさまじい量をやっている人たちでした。やった上で余裕があるのでまとめノートを作っていたのですね。(もっとも、彼らがどうやってあの量のまとめノートを作りきったのかはいまだに謎ですが。民法とか、我妻栄先生の霊に手伝ってもらっていたのでしょうか)
合格体験記・体験談は、「基本書だけで足りる」「この演習書さえやればいい」「ローの授業が役立った」「重問死ぬほど回して受かった」「論証集に全部まとめた」等々の「これだけでいい」「これやらないとダメ」「これいらない」的な主観的なものになりがちです。もっとも、これは「体験」だから当たり前です。
合格者・優秀者が勉強方法を教えてくれることもあります。講演もありますし、個人的なレベルでという場合もあります。この場合も基本的には主観的です。こちらも当たり前です。受かったのに勉強方法について改めて考えるなんてしますか?それを検討する場もないのに、自分の経験を相対化させようと労を割きますか?普通はやりません。
もちろん、勉強方法について「人それぞれ」という形で認識していて、あくまで自分の経験であるとして話す人もいます。直接的に言わなくても相対的なものだと認識はしている方もいらっしゃいます。
しかし、だからといって、完全に相対化して勉強方法について語ることはできません。だって自分が勉強した経験しかその人にはないのですから、自分が採用した勉強方法の話しか出来ません。当たり前の話です。
このように、意識していようとしていまいと、合格者の話は主観的な「その人にとって適切・重要だった方法」ないしは「その人が適切・重要だったと考えていた方法」にとどまらざるをえません。私はこれを「合格者バイアス」と呼んでいます。予備校ですら、創設者の合格者バイアスがかかっています。
ちなみに、上に挙げた具体例の方々は全員めっちゃいい人たちです。当たり前ですが悪意をもって話をしている訳ではありません。むしろ勉強法についてアドバイスくれるんだからいい人です。その人の性質関係なく、基本的にバイアスかかっちゃいますよって話です。
バイアスかからずに話せる人はおそらくいません。したがって、合格者の話はある程度相対的に聞くことをおすすめします(上記のとおり、「それぞれだよ」と注意喚起してくれる人もいますね。謙遜しているというよりも、実際にそうだからおっしゃっているのでしょう)。
それはもちろん私についてもです。合格者バイアスの相対化を意識して個別指導の内容やこのブログを作っていますが、所詮一個人の経験が出発点ですから、相対化しきれません。実際、このブログで言うなら、予備校教材の強調はバイアスの一端でしょう。それ以外の勉強方法を取ったことないので分からないのです。
「あれやらないとダメ」「あれやっちゃダメ」「これやらなくて良い」「あれやった方が良い」と人によって言うことが変わります。とすると、「自分が合格するためには何が必要か」は最終的には自分で考える必要があります。
そういう意味で、過去問演習・分析は重要なわけですね。過去問というゴールに対して、自分に欠けているものを知ることが出来るのは、過去問演習・分析のみです。添削してもらったとしても、その添削をどう理解するか、どう位置づけるか、そこから自分に何が足りないかをくみ取るかというのは自分でやる必要があるのです。
ややこしいのは、過去問1年分くらいで受かってしまう人もいることですが(!)、相対的に過去問の普遍性は高いでしょう。
ただし、他方で、独りよがりにならないように注意してほしいです。私の勉強方法の失敗遍歴はこれまでブログで書いていたり、youtubeで話したりしていますが、過去問を見た上で失敗しています。見る実力がない頃に見て分析したせいなのですが。
特殊な勉強法というのもないのです。基本的にはみんながやっていることをやれば良いです。ロー重視か、予備校重視かの違いはありますが、まぁ、誤差です。アウトプットをきちんとやっているかの方が重要です。
あまり勉強方法の相場に外れない形で、自分に適切な方法を探してください。過去問の演習・分析以外に、勉強方法の考え方については、前の記事でまとめていますので、参考程度に見てみてください。
初学者の頃とか、そもそも過去問に手をつけられない時期はどうしても手探りになりがちです。私がローに入った頃も、周りの人は、ローについていけなくて予備校に頼ったり、他方で一生懸命ローの授業に食らいついたりと、それぞれでした。ただ、その時期を超えて合格した人たちをみると、みんなそんなに変な勉強はしてなかったなと思います。相場というのは、要は、定評のある教材を難易度順にこなしていくということかなと。細部は自分次第ですが、相場を外れないことが重要です。
なお、方法論ばかり考えて、勉強しないというのはダメです。どの予備校のだれ先生が良い、どのテキストが良い云々で一向に勉強を進めない人がいます。これでは合格しないのは当たりまえです。そういうふうに陥りそうなら、1.インプットテキストを読んだことないなら何でも良いので手元にあるインプットテキストを読む、2.インプットを一周でもやったことあるなら、何でも良いので手元にあるアウトプットテキストに取り組む、というふうにして、「講座・教材ショッピング」状態を抜け出してください。
以上です。まぁ、といっても何しようかなと迷うことはあるでしょうが、いろいろ考えつつも着実に前に進めてください。ファイトです。