「悪しき方法での受験勉強」からの脱却
◎多浪の原因は何か
私は、勉強開始から11年、受験回数8回、失権を経て、ようやく合格しました。
これに関して、逆にどうして合格できたの?と聞かれることがあります。あまり上手く答えられなかったのですが、最近なんとなく分かった気がするので書いて残しておこうと思います。
前提ですが、私は大抵の失敗の原因は、能力でもやる気でもなく、「考え方」にあると思っています。たとえば勉強量が足りない人は、怠惰なのではなく、「合格までどれくらいの勉強が必要か、それを試験日までにこなすのに1日にどれくらい勉強しなければならないか」を認識しておくことが必要ということを考えていないのです。これなくして一生懸命勉強することは不可能です。ゴールまでの距離と時間制限を知らないのに、マラソンすることなんて不可能ですから。
これを踏まえて、私の多浪の原因は「悪しき方法での受験勉強」の考え方に嵌まっていたことにあると分析しています。これは大学受験までに遡ります。
◎悪しき方法での受験勉強
私は大学受験時代、理系科目は「解法を覚える」という勉強方法を採っていました。問題集を何度も解いて解き方を覚えてしまうわけですね。
しかし、これは上手くやらないと学力は伸びません。要は「暗記」になっていまうわけです。解き方の表層は理解します。しかし、なぜその問題でその解き方をとるのかを理解していないと、少し違う問題が出てしまったときに、対応できなくなります。
また、基本知識の応用方法を知らないと応用問題は解けません。「応用」っていうと漠然とした感じになるのですが、明確に方法論があるのですよね。ただ、それは数値を入れれば答えが出る自動販売機的なものではなく、思考の補助線・導きの糸にすぎず、それを使って汗をかきながら考える必要があります。
(最近、『鉄緑会 基礎力完成 数学ⅠA+ⅡB』という本の前書き部分だけぱらっと見たのですが、「一般に数学の問題を解く際には、次のような2ステップをたどる。・問題の条件を読み替える(問題を数学的に書き換える)・書き替えた後で計算する」ということが書かれていました。これとか応用方法の話だなと思うんですよね。基礎知識を未知の問題に適用するときの考え方を抽象化・一般化しているので。そして、これだけでは解けないというのも同じです。)
要は、解法等のさらに奥にある論理を知るということを行なわず、表層的なものを雑多に繰り返すというのが「悪しき方法での受験勉強」といえるかなと。
こういう勉強方法をとってしまった原因もいまからみれば分析できます。あまりにもたくさんのことをやろうとしすぎて、落ち着いて勉強できなかったんですよね。自主的にやろうと決めた教材・予備校の教材・学校の教材と、どれもやろうとしていました。1日の間に相当数の問題をこなさないとダメで、必然、1個1個の問題について深く考えることとかせず、すぐに答えをみて覚えるみたいなことをやっていました(いまから考えるとバカすぎますが笑)。
で、これは悲劇だと思うのですが、私はこれ以外の勉強方法をしらないまま大学に入ってしまうのです。大学に入ってもこれ以外の勉強法を知ることができなかったとでも言えるでしょうか。
◎大学での苦労
まず大学に入って一番大変だったのは、大学では勉強することは無限にあるということです。単に知は無限にあるという話でありますが、大学で1期にやらないとダメな科目数が多いことも影響していたと思っています(大学の勉強ってしっかりやろうとすると、1期に3~5科目くらいしか無理だと思うんですよね。リベラルアーツ自体はいいと思うんですが、それをたくさん雑多にやる意味あるんだろうか)。とりあえずこれで「なんかいっぱいやらなきゃ」と思っちゃったわけですね。で、結局落ち着いて考える時間を得られず、大学受験の時の勉強方法で継続してしまうことになります。
大学受験の時も死ぬほど勉強していたのですが(四当五落を地で行きました)、大学1年生の時も死ぬほど勉強しました。夏休み毎日図書館に行って、微積と線形代数と力学の問題集を延々と解いていました。それでもゆっくり考えるとかしなかったので、結局思考力は何も伸びなかったんですよね。もうここまでくると自分のことながら可哀想です。
まぁ、大学の時に勉強した雑多な様々は、後に使えるようになるのですが(文転して社会科学メインに勉強したので、自然科学はそもそもあんまり勉強していませんけれどもね)、それは勉強方法・思考方法の抜本的変革があってからです。
◎司法試験での苦労
で、こんな感じなので、当然司法試験でも苦労します。上記の悪しき方法をまとめるなら、
・基礎知識の背景にある考え方を理解していない
・応用方法を知らない、
・必須の基礎知識とそれ以外の知識を分けないため、勉強範囲を画定できず、無限にやることが生じ、深く思考する時間を確保できない
という三つに整理できるかなと思います(なお、これを逆にすると、良き方法での勉強になると思います)。
司法試験に関しては
・どの論証をいつどの場面で適用するのか、ないしその考え方等を理解していない、
・応用問題の解き方を知らない、
・教材を絞っていない(大部の基本書や判例集も通読する等)
とかになります。
失敗歴は以下の感じです。
・予備校問題集はひたすら解いたが、「論証貼り付け」以上の理解はしていない(理解できない)
→応用問題(要は司法試験の過去問)をまったく解けない
→解けない理由は、知識がないからだと思い、予備校教材以外にも無限に手を広げる
で、無限に雑多に勉強していました。たぶん、多くの人より早く来て、遅く帰ってましたが(24時間の自習室で寝たりもしました)、全然ダメでした。辛すぎて自習室で泣いたこともありました。泣いても意味ないのがさらに辛いところです。
◎失権後の反省・敗因分析
で、結局失権します。当たり前ですね。しかし、失権後、「どこから間違えたのか」と、自身の思考史・勉強史を最初から整理・検討したのが転機になります。自分の知的遍歴の反省・敗因分析とでも言いましょうか。物心ついた幼少期から全て辿りました。
で、どこから間違えたのか考えた結果、「自分がこれまで得た知識・思考すべての整理・体系化」をすることになりました。この「知識・思考の整理・体系化」が、司法試験の受験勉強にも及びます。すなわち、
・論証集を整理することで、どの場面に適用するものか、ないしは、適用するか否かの考え方を理解する、
・過去問を整理することで、応用問題にも一種の解き方・考え方があることを理解する、
・上記過去問の整理により、知っておかないとダメな知識の範囲は最低限は論証集だなと理解する、
ことができました。
まぁ、このとおり、この段階では結果的に良い方向に勉強を修正できただけで、このときは結局失敗の原因は分からなかったんですよね。なんとなく受験勉強の影響かなとは思ってたんですが。まぁ、結果オーライです。
◎予備試験から合格まで
で、失権した年の次の年(令和元年)の予備試験を受けて合格します。このときの勝因は、論証集のすべての知識を合理的に整理しており、また、問題の解き方を未知の問題も含めてほぼ整理しきっていたことです。
あと、この整理の結果、試験前日や休み時間にやたらと論証を見返すのを辞めることができたことも勝因の一つです。そんな直前に勉強しても、試験中の思考力が落ちるだけであまり意味ないんですよね。悪影響あるなと思いつつ止められなかったんですが、論証集を整理したことで論証知識を忘れにくくなりましたし(再現しやすくなった)、解き方を理解することでそもそも知識だけじゃないなと分かったので、止めることができました。もっとも、試験前日や休み時間の勉強を放棄するのは勇気が要り、一種の決断ではありました。
まぁ、実際は薄氷ではありましたが(R1年なんですが、民法で時効をギリギリ思いつくとかね)、受かるラインには何にせよ至っていたと思います
ただ、この後もう一回司法試験に落ちるんですよね大爆笑。しかもそれを見たの、バイト先の法律事務所だったんですよ。あのときの所長の先生のリアクションはいまでも鮮明に覚えています笑 もう申し訳ない気持ちでいっぱいですよね笑
で、落ちた原因は、刑事系の学説問題と、短答の点数が低すぎたことが原因なので、二つをフォローして受かりました。勉強方法の問題ではなく、単に勉強範囲・量の問題だったので、比較的容易にフォローすることができたということだと整理しています。
(もう一つの原因として、勉強密度の問題があるんですが、これはまた別記事で詳しく説明します。一定期間の間に一定量の勉強をしないと、司法試験に合格する水準で知識を維持することができないんですよね。)
◎まとめ
まとめるなら、悪しき方法での受験勉強を、失権後の反省・敗因分析によって脱却することができ、合格するという感じでしょうか。
もっとも、上記の反省・敗因分析は普通の人には適さないと思いますし、それは手段であって、「基礎知識の背景にある考え方の理解」「応用問題の解き方を知っておく」「必須教材=必須知識等の範囲を確定する」ということが分かればそれで良いですから。
まぁこんな変な感じのやつはいないと思います笑 こういった自分事を書くのって恥ずかしいんですが、最近ようやく自分の失敗を分析できたなと思うので、せっかくなので遍歴も書き留めた次第です。
私の経緯はともかく、もし「悪しき方法での受験勉強」に嵌まってしまっている人がいたら、解毒剤にでもなれば幸いです。(書き終わった段階で、嵌まっている人、ないし、こんな嵌り方している人いるかなぁと疑問に感じてきましたが、せっかく書いたの消すのもったいないので残しておきます。)